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  • 執筆者の写真プラナビ編集部

ユージ―ホーム物語

更新日:2021年3月23日


―ゆーじーほーむものがたり



蔦が覆った柱の奥に、絵本に出てくるようなぺたりとした青いトビラ。

東京都江戸川区、瑞江駅のすぐ近くにユージーホームさんの自宅兼事務所があります。

お邪魔しますと扉を開ければ、天井には巨大な宙飛ぶクジラ。赤・青・緑とカラフルなチェス盤がそのまま天井になったような茶目っ気いっぱいの室内が印象的な事務所です。

窓際に並んだ色とりどりのステンドグラスのような(実はおはじきでできていたりするものも!)照明の数々は全て酒田さんの手作り。小さな一部屋に、色が洪水のように溢れているのに不思議と煩く感じません。

数年前TV取材を受けた時、歌手の西城秀樹さんが事務所に何度か来訪され、その後再びTVのご縁で再会したとき、嬉しい言葉を貰ったと言います。 「この人はセンスがあるよ。色をここまで沢山使える建築家って少ない。これはすごいよ。と放映された番組内で言って褒めてもらったことがあってね、あれは嬉しかったなあ。」と満足気に笑顔を浮かべる酒田さんご自慢の事務所です。


ユージーホームの酒田政彦(さかた・まさひこ)さんは現在御年60歳。

10年前突然の脳出血に倒れ、救急病院のICUで約10日間を彷徨いました。おぼろげな時間の中に、他の患者さんの心停止の無慈悲な機械音を聞いた記憶が今も鮮明に残っているといいます。どうにか一命はとりとたものの、右半身に麻痺が残ってしまいました。当時抱えていた全ての社員を他に世話をして、その後約1年半の療養&リハビリ生活を経て、一人ユージーホームの新たな再出発をすることにしました。

こういった場合往往にして、第二の人生なんだからやりたいようにやってみよう!

とそれまでと生き方・考え方が変わる方が多いと思うのですが、酒田さんは違いました。

「昔からやりたいようにやってたからね。今も昔も設計施工しかやらない。そうじゃないと一人一人にあった家なんてつくれないから。僕は、建築家であり設計者であり工務店であるけど、建築家ってその人の人生設計とその家族の未来計画 (目に見えない部分) をつくる人だと思っている。それが目に見える部分では家のカタチをしているっていうだけだし、家じゃないことだってあるよ。」

設計施工、と言葉にすればありふれた言葉にみえますが、酒田さんがこれにこだわるのは想いを持って自分の元を訪れた全ての人に「自分が全てのことに責任をとるよ、だから安心してね」と言ってあげたいから。

実際にこのポリシーを現実にするには、どんな小さなことでも自分が把握している必要がある。本当に責任がとれる自分でいるためには、必然的に設計施工でやる必要があると言います。

若い頃は設計事務所、建設会社、住宅メーカーに勤めていた酒田さんは、とにかく設計一筋。ルールに則った設計図を最初から面白くないと思っていた酒田さんは、昔からお客様に「こんなお家、楽しそう!」と思ってもらいたくて、目の前で話しながら真っ白の紙の上に図面を描き、池を描けば魚が飛び跳ねる絵を加え、庭があれば花壇に花の絵を描いたといいます。


たったそれだけ、されど未来を想像する為の対話において抜群の効果を産みました。

「図面に魚の絵があってさ、それがダメなら僕がちょっと上司から怒られて絵を消せばいいだけじゃん。」

全国の営業所の中でも、対応するお客様の数が最も少ない支店だったにも関わらず、酒田さんのユーモアと熱意で成約数はトップ。周りを見渡せば、お客様に一番最初に見せるものは適当な見積りやラフのような図面が溢れていました。でも自分は絶対いい加減な図面は描かない、適当な見積もりはしない、全力で考え抜いたアイデアを120パーセント盛り込むと決めていました。若い時から誰に言われたわけでもなく、自らに徹底していたのだそうです。








「僕はそこに住む人が、家族がどんな風に暮らしていけるか、そこまで設計する責任を負うことが設計という仕事のあるべき責任だと思う。設計者は医者と一緒。医者は病気の診断や処方する薬がその人にどんな影響を及ぼすか先の先まで考え抜いて選択をするでしょう。なにか問題があった時、その医者が全てのことを把握していてどこの何が問題かを判断できるブレーンになっている。それは僕じゃわからないから、処方した薬のメーカーさんに聞いてみてくださいとはまずならない。おそらくそんな医者に当たったら、あなたお医者さんなのにわからないの?って患者は不安になると思う。この人変だなって感じると思うんだよ。

でも残念ながら、こと住宅の世界においてはこんな当たり前のことが常識になっていない。

住んでみたら色んな音が筒抜けで恥ずかしい、家の中が暗い、テラスは暑いし虫がでるし過ごしにくい…と暮らしてからはじめてうーんと思って相談したら、売った後のことまで知らないよとなる。これがおかしい、とならない。そういうもんだよね、というのが世の中の常識のようにまかり通っていることが、僕は心底おかしいと思う。

つくろうとしてるのは「家」なのに、乱暴な言い方をすればそこに住む家族の顔も声も知らなくても建つ家だってある。その上簡単に35年ローンだって言うでしょう。昔は良かったかもしれないけど、今の若い人たちの平均的なお給料でこんなに長い間借金を背負い続ける暮らしって本当に大変だと思うよ。これが普通、当たり前っていう現実から僕はできる限り手助けしたいし、いろいろな方法で力になれることを探すよ。法律、基準、ルール。徹底的に勉強すると必ず物事には違うものの見え方が存在する。建築家の勉強や知識はそういうことができるし、するべき。なのにあまりにそういうエネルギーをかけずに家を建てる入り口が多いから、家を売る、家を買うって発想になっちゃうんだろうね。

問題だと思うのは、このことを知らないひとが多いんじゃなくて、じつは多くの人達、少なくとも業界の人達は知っているのに知らんふりしてること。僕だけの声では小さな小石にも満たない威力だけど、一石投じる力になればといつも思ってます。」


酒田さんの手がける住まいには、その家に住むひとのことを徹底的に考え抜いた、「愛」という名の「大人が本気でやりぬくイタズラとひとさじのエスプリ」が詰まっています。

本気を盛り込んだ家には、関わる人達を「楽しい!」に巻き込むエネルギーが発生し、楽しいエピソードが尽きません。


<エピソード1>

とある住宅で、タイル貼りの柱と天井をつくった。

滑らかに曲線を描くカーブは、出来上がった写真をみてタイルメーカーがどうやったんだ?と首をかしげるほど、タイルでこんなことできるのかという難しい仕事だった。

当時、その柱にコツコツとひとつひとつタイルを貼っていた職人さんは、その仕事の難易度にやる気がみなぎって、何度休憩の声をかけても柱から離れなかったそうです。




<エピソード2>

とある住宅では、竣工の直前に外構をつくる職人さんに混じって、酒田さんが地元青森から自ら採ってきた沢山のタンポポの種をこっそり蒔いていました。このお家には小さな子どもがいて、近所には同じ年頃のお友達も沢山。季節が巡ると案の定、やたらとタンポポが咲く家の前は小学生が大喜びの場所になっていました。沢山の子どもたちが綿毛を飛ばして遊び、季節を追うごとにタンポポが町へ広がっていきます。その家の前からは、なんでここだけいっぱい咲いてるんだろうねー?という子どもたちの声が聞こえてきて、してやったりとイタズラが成功したような酒田さんの笑顔が印象的でした。


他にも、酒田さんなら相談に乗ってくれるかも!とかつての施主さんから慰霊碑や仏壇の相談まで入ってくるほど。信頼度の高さが伺えます。

お墓だって仏壇だって、それまで作ったことはありません。

「でも自分はデザインはできる、材料さえ入手すればつくれないことはない。」

何よりも、買おうと思えばいくらだって販売しているところがあって、相談できるその業界のひとだっている中で自分を頼ってきてくれたのだから、その気持ちに全力で応えたいと思ったといいます。



家づくりにしても何にしても、お金の問題は切っても切り離せない大事な問題です。

でも、酒田さんに言わせればそれは表裏一体の「裏」。

「家づくりの表には、まず「愛」がないと。愛とか家族とか未来とか、そういうのがあってこそのコストでしょ。」という酒田さんの声が今も耳に残っています。

「身体のこともあるし、僕はこういうやり方だから、沢山のお客様に応えたいと思ってもそれは難しい。今は基本的にこの江戸川区やその周辺だけでやっていこうと思ってはいるけど、それ以外の場所でもヒトとの縁次第だと思ってますよ。」

とにかく今もこれからも、酒田さんのつくる家のスタンスは変わりません。

近所のひとから外観を見ただけで「あら〜素敵!○○さんっぽい家ねぇ!」って言われる家。そして住まう家族が「あー早く帰りたい!」という家。

日常の小さなことから本気で遊ぶ、全力で楽しんで、観察して、発見する。

酒田さんのイマジネーションの源がここにあると感じました。




家を”買う”ものから"創る"ものへ

プラナビ編集部 森本

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